深名線ノスタルジー20年 (第四回:廃線探訪2日目) [サイクリング]
・深名線廃線探訪サイクリング軌跡
・2日目の軌跡
本日のスタートは政和温泉からです。起床時刻6:00。支度をして、
7:00に出発しました。天候は曇り。風も少なく快適なサイクリング
日和のように見えますが、本日午後から天気が崩れる予報が出て
います。前半でどれだけ踏査できるかがキモとなりそうです。
・こんな感じのログキャビンに泊まりました。
・K分君の自転車のコクピット。色々と付いています。
まずは国道を数百メートル戻り、第3雨竜川橋梁に行きました。
おそらくもっとも有名であろう深名線の遺構です。緑色に塗られ、
綺麗な状態で鎮座していました。地元の保存会により保存されて
いるとのことです。目の前に立つと、今にも深名線の列車が渡って
きそうな錯覚に陥ります。
・第3雨竜川橋梁が大変綺麗な状態で保存されています。
・デッキガーター&トラス橋
・今にも目の前から深名線が走ってきそうです。
橋の案内版の前にテーブルとベンチがありましたので、ここで
朝食。昨夜のレストランで作ってもらったおにぎりを食べました。
寒い朝ですが、優雅な気分で美味しい朝食を食べることができ
ました。
・一人3個のおにぎり!おかず付き。ごちそうさまでした。
踏査再開。第3雨竜川橋梁からすぐ近くの場所、旧道沿いに走る
と、すぐに【政和温泉駅(臨時駅)】跡がありました。遺構は全く
残っていません。駅跡の先に、昨日宿泊したせいわ温泉ルオント
が見えています。
・【政和温泉駅】跡へと向かう横道。
・右上の道から上がってきたところです。遺構はありません。
200mほど走ると、深名線を横切る踏切跡があります。この辺り
が【下政和(仮乗降場)】跡となります。この駅は大分昔の
1961年に先ほどの政和温泉駅の位置に移転し、名前も政和温泉
仮乗降場と改称になったとのことです。要するに、移転前の
乗降場跡ですね。もちろん何も残っていません。
・この写真の踏切跡の左手あたりが【下政和(仮乗降場)】です。
・北海道はひたすらまっすぐな道が多いなぁ。。。
国道に復帰し、少々走りると、突如、右手に食堂の建物が見え
ました。【政和駅】の駅舎です。入口のベニヤ板に冬季休業中
…と書かれていましたが、既に数年前に閉店となっています。
駅舎の第二の人生も幕を閉じてしまったのですね。。。
・【政和駅】、駅前情緒満点です。
・少し前までは有名な食堂だったとのことです。
・裏手にプラットホームの遺構は発見できませんでした。
引き続き国道を北上します。途中、蕎麦の里の展望台があり
ました。蕎麦の花が咲く時期には大層綺麗な景色を見ることが
できる場所とのことですが、既に蕎麦の収穫は終わっており、
一面の畑を臨むのみでした。風が強くなってきました。上空の
雲の流れが早いです。
・有名な展望台。シーズンオフで文字が欠落中なのかな?
・既に収穫の終わった蕎麦畑。
国道を走っていると、右にダート道が伸びている箇所があり、
その先が【新富駅】跡です。1995年の深名線廃止を待たず、
1990年に利用者減少により廃駅になっています。駅舎や線路
等の遺構は残されていませんでしたが、駅前の荷物扱いの建物
の廃墟があり、そこに駅があったことがわかります。
・【新富駅】の駅前通り。先には駅遺構はありませんでした。
・駅前に集荷所の廃墟がありました。
更に国道を進むと、左手から羽幌方面からの国道239号線がT字
交差してきて、その先ほどなくして【添牛内駅】の駅跡に到達
しました。いかにも駅前通りの趣の道があり、その先に駅舎が
残っていました。現在では民家の物置として使われているとの
情報がありますが、保存状態が悪く、あまり長くない印象を受け
ました。
・【添牛内駅】も良い駅前の雰囲気を出しています。
・添牛内駅舎入口
・駅裏手側は荒れていました。
この辺りは河川の流れ方向が複雑です。進路を東に変え、暫く
走った後に朱鞠内方面に左折して進路を北に変えます。その先で
カーブで進路が西になるわけですが、並走の深名線も大きく
曲がって【大曲(仮乗降場)】に至ります。この乗降場は大分昔の
1976年に廃止されています。国土地理院の古い航空写真と照らし
合わせて見ると、周囲の道路が当時と大分違っています。…が、
乗降場のあったであろう場所には容易に到達できます。JRバス
深名線の同名のバス停は、ちょっと離れた場所に設置されていま
すが、現在の集落の利便性に即した箇所に設置されているので
しょう。
・【大曲(仮乗降場)】があったであろう箇所(写真左手側)
・この正面あたりにあったはずです。
・大曲近くにあった跨線橋。深名線を斜めに跨ぐ感じです。
雨竜川を渡ると、その先に右手に折れるダート道がありました。
2,3百メートルほど進むと、深名線の路盤と交差する箇所があり
ました。その箇所のすぐ左手が【共栄駅】跡です。当時簡易な
ホームと待合室だったため、跡形も無く撤去されています。
共栄駅は、深名線の線路が良い感じのカーブを描いている途中に
ありました。写真映えが良かったようで、当時の鉄道雑誌等に
しばしば共栄駅に停車している深名線の列車の写真が掲載されて
いたことが思い出されます。
・【共栄駅】跡に至る一本道。
・この写真右手あたりに共栄駅がありました。
時刻は9:30。空が鉛色を呈しています。天気がもう少し持って
くれれば良いのですが。この先、少々登って朱鞠内トンネルで
反対側に抜けます。トンネルを出た直後にある雨竜川を渡る橋
から、すぐ横の深名線の橋台を見ることができました。
・朱鞠内トンネル
・深名線の石積みの見事な橋台が見えました。
更に北上すると、やがて民家が見えてきました。朱鞠内の街に
到着です。深名線現役当時の訪問時には、幌加内と並んで大きな
町の駅…という印象があったのですが、自転車で走るとあっと
いう間に市街地が終わる感じです。市街地の一番北に【朱鞠内駅】
跡はありました。ここでも駅の遺構は残されておらず、昨日の
幌加内同様、短い線路がモニュメント的に作られて設置されて
いるだけでした。バックに駅名標が立っていました。
・線路のモニュメントと、バックにバス待合所。
・これは…現役当時のものかしら?
次の駅までの駅間距離は僅かに1.9kmですが、そこにアプローチ
するために一つ峠を越えなければならないのですが、なかなか
キツいものがありました。坂の途中、朱鞠内駅構内を俯瞰で撮影
できる有名撮影ポイントを通りました。1995年当時、僕は一度
この道を徒歩で歩いています。当時の風景を思い出しつつ、
・線路跡は2車線の道路になっています。
・拙ブログに先日掲載した新聞切り抜き写真。同アングル。
道道から朱鞠内湖に向かって折れる道があるのですが、折れて
からすぐに深名線の踏切を渡っていたのですが、その箇所が
【湖畔】駅跡となります。当時、湖畔の駅前の空き地で深名線
の写真撮影をしていましたが、その時の記憶が懐かしく蘇り
ました。
・この荒地が【湖畔駅跡】です。何も残されていません。
・踏切を挟んで反対側。深名線の軌跡がわかります。
さて、この先のルートの話です。道内最大の人造湖「朱鞠内湖」
があり、現在僕達はその左下あたりの「湖畔駅」に居ます。
深名線は朱鞠内湖の西~北を経由するルートで右上あたりにある
次の駅「北母子里駅」に至ります。一方、メインの道路は朱鞠内
湖の南~東を経由するルートで、JRバス深名線もそちらを採用
しています。
深名線のルートに忠実に従うなれば、西~北ルートを採るべきです
が、ちょっと迷っています。…と言うのも、朱鞠内湖西側の道道
528号線(蕗の台朱鞠内停車場線)が現在通行止め扱いとなっている
ためです。先達の調査情報をWebで調べたところ、道道528号線は
完全なダート道で、2012年の土砂崩れの影響で不通となっており、
以降、復旧に着手されることなく現在に至る…とのことでした。
北側を走る道道688号線も、同じく数年前から土砂崩れで通行止め
でしたが、この9月に復旧して開通しています。…ですが、すぐに
先日10/22に冬季閉鎖扱いとなっています。
であれば南~東経由に決まり…なのですが、ここで更に迷う要素が
あります。深名線の湖畔駅~北母子里駅の間に、その昔に宇津内
(仮乗降場)、蕗ノ台駅(臨時駅)、白樺駅(臨時駅)の3駅があり、
このうち宇津内仮乗降場は所在不詳で踏査不可能ながら、蕗ノ台
駅と白樺駅は場所がわかっており、踏査可能な状況なのです。
・山の斜面に一段クッキリと見える深名線線路跡。
どうしようか考えつつ、朱鞠内湖の雨竜第一ダムの見事な堰堤を
右手に見ながら、道道528号線を少し北上してみます。しかし
ながら、実際に右手の山の斜面に深名線の線路の跡がはっきりと
見え、それが宇津内の奥地に吸い込まれている様を見てしまうと、
そのまま引き返すことができない心境になってしまいました。
K分君と話し合い、行けるところまで行き、駄目なら諦めて引き
返そう…ということで進むこととしました。
・この先の道路状況を記しておきます。
・朱鞠内ゲート
・ゲートを超えた直後から、道幅が狭くなります。
道道528号線の朱鞠内ゲートを越えると、途端に舗装道路が途切
れてダート道になりました。大きな水たまりにビビりつつ、前に
進みます。ほどなく宇津内湖の雨竜第二ダムの堰堤が見えてき
ました。雨竜第二ダムはそれほど大きくはありませんが、すぐ
前の橋から見上げると迫力があります。吐水しており、見事な
景観を見せていました。
・宇津内湖雨竜第二ダム。吐水を見ることができました。
時刻は10:40。予報より若干早く、雨が降ってきました。まあ、
この辺りはほとんど山の天候…と言って差し支えないような
場所ですからね。急いでレインウェアやザックカバーなどの
雨対策に衣替えし、サイクリング続行です。K分君との前回の
サイクリングで、只見線沿線で雨に降り込められ酷い目に遭い
ました。その時の経験から、2人とも今回の雨対策はバッチリ
です。装備さえちゃんとすれば、雨なんてさして気になりません
…ここがまともで安全な道路であれば。。。
・ダム横の道路を急登坂で上がっていきます。
・落石注意の標識も、何らかの理由で半分壊れていました。
ダム横からは簡易舗装道路になっており、幾分か自転車でも通行
しやすくなっています。…が、最近ほとんど通行が無いようで、
木の枝などが散らばっており、神経を使います。この道はアップ
ダウン、曲線がきついです。切り通しは最小限、トンネルは無し、
橋は最も短く架橋できる箇所で…。典型的な昔道と言えます。
地形図を眺めながら、このような地形に即した道を歩くのは嫌い
では無いのですが、今日ばかりは「こんな道路で大丈夫か?」…
と不安が募るばかりです。
・右手に宇津内湖が見え隠れしています。
・完全なダート道になります。
・こんな感じの倒木が至る所に存在していました。
暫く簡易舗装道路が続き、意外と行けるな…と思っていたら、
ほどなく完全なダート道に変化しました。通行難易度が一気に
跳ね上がります。伸びた雑草や倒木などが行く手を阻みます。
気合で進んでいると、やがて斜面の道が崩落している箇所が出現
しました。うわー、これはもう車やバイクで進むことができない
こと確定です。自転車を持って崩落個所の横を降り、横に巻き
ながら進んで進路の道に復帰します。
・この急カーブを曲がった先で…
・あっ! 道路が斜面崩落で崩されている!!
・自転車を担いで道を巻き、何とか進路復帰します。
この斜面崩落を突破できない自動車やバイクは脱落しますので、
ただでさえ少ない通行量が激減し、ここから先はもう一段レベル
が高い道となります。藪化した道、沢山の倒木あり、道が川の
ように水没してしまっている箇所あり…。あまりにもレベルが
高過ぎます。気が付くとサイクリングではなく「冒険」になって
いました。
・14トン制限の木橋。こ、こえー。。。
周囲には熊笹が多く茂っています。朱鞠内湖近辺には熊がよく
出没するとか…。雨が降っている時の熊の活動がどうであるか
分からないのですが、2人で自転車のベルを交互に盛大に鳴り
響かせて進みました。
右手には雨の中に煙る、幻想的な宇津内湖が見えています。
深名線はこの宇津内湖の対岸を南北に走っていました。宇津内
湖と朱鞠内湖の間の陸地の部分ですね。そこにはかつて
【宇津内(仮乗降場)】がありました。かなり古い駅で、昭和31
年頃には既に廃駅となったようです。あまりに古過ぎて、正確
な廃止時期はネット検索ごときでは情報が出てきませんでした。
・ウツナイ湖展望台…ほとんど湖が見えないんですけど。。。
・ゴツい峠越え。もはや自転車を漕げるレベルではありません。
宇津内駅は今となっては正確な位置が不明であることに加え、
そもそもその場所にアプローチする道が無いとのことで、踏査が
できません。代わりに翌日10/25に訪問した留萌本線北一已駅の
駅舎の写真でも掲載しておくこととします。北一已駅の駅舎は、
宇津内駅の駅舎を移築したもの…とのことです。現場の調査は
できませんが、別の場所で遺構を見ることができるとは、何とも
奇遇なものです。
・北一已駅舎。かつての宇津内駅駅舎が使われています。
(※翌日撮影)
さて、倒木、倒木、倒木…行く手は倒木だらけです。数年前に
倒れたであろう倒木、つい先日倒れたであろう切り口が真新しい
倒木、色々とありました。もう、この道路を復旧させよう…と
いう気は微塵も感じられません。このまま廃道にしてしまう
つもりなのでしょうか。ふと前方奥の方を見ると、巨大な鹿が
居てこちらを凝視していました。こ、こえー。鹿で良かった。
大自然過ぎます。
・致命的に道を塞いでいる倒木。ボスキャラ級の試練。
・BD-1を担いで倒木越え。もはや大冒険。。。
ヘアピンカーブで谷底に降りて谷川を渡る、地形図上最もヤバ
そうに見える箇所に差し掛かりました。2人とも祈るような
気持ちでその場所を見たのですが、無事に橋は架かっていま
した。いや、良かった。。。橋を渡り、地形の険しさも減って
ほっとしていたのも束の間、もう一息で蕗ノ台…というところ
で、2人はまさかの光景を目にしました。
・地図上、最もヤバそうに見えた橋は、問題なし。
何と道が目の前でスッパリ崩落しており、下を谷川が流れて
いるではありませんか。ここまで来て本気の通行止めとは!
ここで引き返すのは、あまりにもしょっぱ過ぎです。崩落の
下を見ると、川が土砂で埋まっている箇所があり、その土砂の
地下で川が流れているであろう地続き箇所が見えました。
対岸に渡るにはここを使うしかありません。2人で土砂崩れ
箇所の上下にスタンバイし、自転車を渡し合いしました。
・ああっ!!道路が目の前で寸断?!
・こんな感じで下を谷川が流れています。
BD-1のようなコンパクト自転車だからこその成せる技ですね。
一人では越えられる気が全くしません。上から自転車を降ろし、
谷を渡し、下から上に上げる…都合3回の手渡しリレーで、対岸
の道路に渡りました。。
・下まで降りて川を越えます。まずは荷物から。
・2人でBD-1受け渡しリレー。ラスボス級の難関ポイントです。
よし、難所は越えた! ほどなく蕗ノ台ゲートが見えてきました。
その先は車の轍もしっかりしており、もう安心です。この時の
安堵感と言ったら。。。
・蕗ノ台ゲート。この先は車の轍がしっかりしています。
…とまあ、道道528号線の現状はこんな感じでした。深名線ファン
ならずとも、この道路を通りたい方は各ジャンルいらっしゃる
かと思います。…ですが、全くオススメできません。主に下記の
理由です。
・あからさまな難所は3箇所。
林道ではなく登山道レベルを覚悟する必要があります。
- 斜面土砂崩れによる道路崩落。
- 切り通し部分を塞ぐ巨大な倒木。
- 川渡り部分の土砂崩れによる道路寸断。
土砂崩落の具合によっては川の渡渉が必要。
・ダートには雑草が茂っています。
冬季ギリギリの今回でもかなりの雑草が生えており、車輪を
取られそうになること多数でした。おそらく夏期の踏破には
相当の気合いが必要と思われます。
・熊が出そうです。
実際、朱鞠内湖近辺の山中での熊目撃情報はWebを検索する
だけでも多数出てきます。蕗ノ台駅跡に熊の足跡が多数あった
…というレポートも出回っています。熊鈴は必携でしょう。
熊鈴の効果については専門家でも意見が分かれますが。
道道528号線を直進すると、左折で道道688号線方面に向かう
分岐が見えました。分岐を直進すると、両側の藪が開け、
広々とした空き地が現れました。【蕗ノ台駅(臨時駅)】の駅跡
です。鉄道遺構は見当たらず、もちろん周囲にも人家等の建造物
はありません。道道688号線が開通する前は、蕗ノ台駅に到達する
にはこの道しか無かったわけですが、ここに駅と集落があった
なんて、にわかに信じられません。
・【蕗ノ台駅】跡。予想外にしっかりした土地がありました。
・母子里側から振り返って。左手が蕗ノ台駅跡方面です。
少し戻り、先ほどの分岐点を道道688号線方面に進みます。少々
すると、2車線の舗装道路が見えてきました。道道688号線です。
途端に自転車のタイヤがよく転がるようになりました。おおっ、
舗装道路の何と偉大なことか。振り返ると青看板が見え、
「←朱鞠内16km」と書いてありました。すぐに通行止めのゲート
があり、その先は道路が崩落しているんですけれどもね。
・道道528号線(ダート)が道道688号線(舗装)に接続する箇所。
・どこが分岐点?…と一瞬わからないレベルの格差があります。
・朱鞠内方面にも通行止めのマークが必要なのでは?!
道道688号線を進みます。いきなりこの道の最大の難所である
厳しい峠越えです。2人でひーひー言いながらペダルを踏みました。
峠を越えると爽快な下り…と言いたいところですが、雨が激しく
打ち付け、荒行修行のようです。
ほどなく、右折の方向にダート道が現れました。ダートを少々
進み、【白樺駅(臨時駅)】の跡に到着です。駅前広場的な空間の
周囲に、鉄パイプ組みの謎構造物が多数建っていました。これら
の用途はわかりませんが。もちろん深名線とは関係の無い、最近
建てられた構造物です。
・唐突に右折道が現れます。
・【白樺駅】前に通じるダート。駅前広場には謎の鉄構造物あり。
・この一段下がった場所が白樺駅のプラットホーム跡となります。
広場の少し先の一段低くなっている箇所が白樺駅のホームのあった
箇所のようです。雨が降っていて危険でしたので、下には降り
ませんでしたが。目を凝らすと鉄道信号設備だか何かの錆びた
金属製ボックスが見えました。
道道688号線に復帰し、黙々と東進します。相変わらず雨が降って
います。右手には朱鞠内湖が見え、幻想的な雰囲気を放って
います。時折、深名線の遺構と思われる堤や切り通しが見え
ました。本日の昼食の調達に失敗しておりますので、2人とも
空腹状態でペダルを漕ぎます。ほどなく、母子里ゲートが見えて
きました。冬季閉鎖のため閉じているわけですが、工事関係車両
と思われる何台かの車がゲート前で待っていました。時限的に
開く時間帯があるのでしょうか。
・母子里ゲートを越えました。下界に帰ってきた気分です。
・本日のゴールの地、名寄が射程距離に入ってきました。
更に進んで下っていくと、信号機や人家など、本日久しく見な
かった文明的なものを目撃しました。ほどなく【北母子里駅】跡
に到達です。携帯電話と思われる送信施設の後ろにプラット
ホームの遺構が残されていました。
・【北母子里駅】前。駅舎があったであろう正面には電波塔が。
・電波塔施設の裏側に、プラットホームが残されていました。
さて、本日もう一つの難所が目前です。名母トンネルでの峠越え
です。昼食代わりに昨日購入した深川名物のウロコダンゴを2人で
分けて食べ、少々休んでから峠越えに挑みます。峠までの道は、
ヘアピンカーブこそありませんが、ダラダラと上り坂が続きます。
既に先ほどの林道越えで足のバネを使い切っている2人にとって、
かなりキツいものがありました。
・深川名物ウロコダンゴ。腹に貯まるズッシリ感が助かります。
・名寄まであと18km…は、天塩弥生に寄り道しない場合ですな。
・ダラダラと長いだけの上り坂を延々と登ります。
死ぬ気で挑み、名母トンネル手前の峠に到達しました。やった、
遂に本日の最高標高点だ! ありがたいことにトンネルは全線
下り坂のようです。ちなみに、この名母トンネルの開通により、
冬場の道路交通の確保がなされたと見做され、深名線廃止の
引き金となったことは有名な話ですね。なお、肝心の深名線の
方ですが、ここより大分南の場所で、長大な「名雨トンネル」
にて峠越えをしています。
さあ、あとは転がり落ちるだけです。爽快に飛ばし、一気に
名寄方に抜け出ました。おおっ、何という見晴らしの良い景色!
自分達の足でこんなに標高を稼いでいたんだー、と感動する
一瞬でした。
・見えた!名母トンネル。
・山の上から見えるような下界の景色です。
・何と4kmも下り坂が続きます。爽快ー!
4kmの長大な坂を一気に下り切り、右折した後に本日最後となる
小さな峠を一つ越え、【手塩弥生駅】の駅跡に至りました。ここ
にはかつての駅の遺構は残っていません。代わりに駅舎風の新しい
建物が建てられていました。側線等があったであろう空間には、
電信柱が多数建てられていました。まるで当時の手塩弥生駅を
復元しているかのように見えるのですが、説明板等は無く、周囲
に地元の人も見当たりませんでしたので、真相は分かりません。
・弥生方に折れて、一つ峠を越えます。
・【手塩弥生駅】跡には、駅舎風の建物が建っていました。
さあ、いよいよあと少しです。彼方に名寄の街が見えてきました。
雨脚が弱くなってきて快適に走ることができますが、日没時刻に
差し掛かり薄暗くなってきています。15分ほど走り、【西名寄駅】
跡に到着です。駅のあった場所はライスターミナルなる巨大な倉庫
になっていましたが、その横の西名寄のプラットホームがあった
であろう箇所に駅名接近標識が建てられており、この場所が駅跡
であることが示されていました。
・【西名寄駅】に至る駅前道路
・西名寄の駅名接近標識が建てられていました。
最後の一区間、名寄に向かって東に進みます。深名線が天塩川を
渡る部分には鉄道遺構は残されていませんでした。再び雨脚が
強くなってきて、周囲も急激に暗くなってきました。市街地に
入り、宗谷本線から深名線が分岐する箇所を見届けたところで、
すっかり暗くなりました。ギリギリセーフでした。そのまま数百
メートル走り、遂に【名寄駅】に到着しました。17:00丁度。
深名線区間、踏破完了です! 何という充実感。。。
・天塩川を渡り、名寄方に入ります。
・深名線が宗谷本線に斜め合流する箇所です。
・着いた!名寄駅!!
・記念撮影!
さて、本日の宿泊地は美深なのですが、名寄駅発の列車を20分
ほど逃しております。もう一本後の列車までは2時間待ちです。
2人の疲労もピークに達しており、雨で冷え切ってお腹も空いて
いましたので、奮発してタクシーを飛ばしました。
宿泊地「びふか温泉」。温泉で冷えた体を温め、併設レストラン
で打ち上げをして、早々に就寝しました。
本日の走行距離は80km。
昨日今日での総走行距離は145kmでした。
こうして今回の深名線訪問は無事に幕を閉じました。今回、所在
不詳の宇津内仮乗降場を除き、駅・臨時駅・仮乗降場の全てを
踏査することができました。大変満足しております。1995年の
訪問時の振り返り体験以上の追体験ができたと考えております。
僕の中で深名線の過去へのこだわりのようなものが吹っ切れ
ました。
さて、今回のサイクリング。北海道の自然の中を走り、大変充実
したものとなりました。とは言え、深名線を深堀りし、それ以外
のものに目を向ける余裕と時間がほとんど無かったことも事実
です。次回、10年後か20年後かはわかりませんが、深名線を再訪
する機会があるかもしれません。その時には深名線の遺構は更に
自然への帰化が進んでいることでしょう。その時には過去を追う
ばかりの訪問では無く、その時の現状と自然を味わうような訪問に
したいと考えております。
計4回に渡る深名線廃線探訪シリーズの長文に、お付き合い
下さいまして、ありがとうございました。
(おわり)
・2日目の軌跡
本日のスタートは政和温泉からです。起床時刻6:00。支度をして、
7:00に出発しました。天候は曇り。風も少なく快適なサイクリング
日和のように見えますが、本日午後から天気が崩れる予報が出て
います。前半でどれだけ踏査できるかがキモとなりそうです。
・こんな感じのログキャビンに泊まりました。
・K分君の自転車のコクピット。色々と付いています。
まずは国道を数百メートル戻り、第3雨竜川橋梁に行きました。
おそらくもっとも有名であろう深名線の遺構です。緑色に塗られ、
綺麗な状態で鎮座していました。地元の保存会により保存されて
いるとのことです。目の前に立つと、今にも深名線の列車が渡って
きそうな錯覚に陥ります。
・第3雨竜川橋梁が大変綺麗な状態で保存されています。
・デッキガーター&トラス橋
・今にも目の前から深名線が走ってきそうです。
橋の案内版の前にテーブルとベンチがありましたので、ここで
朝食。昨夜のレストランで作ってもらったおにぎりを食べました。
寒い朝ですが、優雅な気分で美味しい朝食を食べることができ
ました。
・一人3個のおにぎり!おかず付き。ごちそうさまでした。
踏査再開。第3雨竜川橋梁からすぐ近くの場所、旧道沿いに走る
と、すぐに【政和温泉駅(臨時駅)】跡がありました。遺構は全く
残っていません。駅跡の先に、昨日宿泊したせいわ温泉ルオント
が見えています。
・【政和温泉駅】跡へと向かう横道。
・右上の道から上がってきたところです。遺構はありません。
200mほど走ると、深名線を横切る踏切跡があります。この辺り
が【下政和(仮乗降場)】跡となります。この駅は大分昔の
1961年に先ほどの政和温泉駅の位置に移転し、名前も政和温泉
仮乗降場と改称になったとのことです。要するに、移転前の
乗降場跡ですね。もちろん何も残っていません。
・この写真の踏切跡の左手あたりが【下政和(仮乗降場)】です。
・北海道はひたすらまっすぐな道が多いなぁ。。。
国道に復帰し、少々走りると、突如、右手に食堂の建物が見え
ました。【政和駅】の駅舎です。入口のベニヤ板に冬季休業中
…と書かれていましたが、既に数年前に閉店となっています。
駅舎の第二の人生も幕を閉じてしまったのですね。。。
・【政和駅】、駅前情緒満点です。
・少し前までは有名な食堂だったとのことです。
・裏手にプラットホームの遺構は発見できませんでした。
引き続き国道を北上します。途中、蕎麦の里の展望台があり
ました。蕎麦の花が咲く時期には大層綺麗な景色を見ることが
できる場所とのことですが、既に蕎麦の収穫は終わっており、
一面の畑を臨むのみでした。風が強くなってきました。上空の
雲の流れが早いです。
・有名な展望台。シーズンオフで文字が欠落中なのかな?
・既に収穫の終わった蕎麦畑。
国道を走っていると、右にダート道が伸びている箇所があり、
その先が【新富駅】跡です。1995年の深名線廃止を待たず、
1990年に利用者減少により廃駅になっています。駅舎や線路
等の遺構は残されていませんでしたが、駅前の荷物扱いの建物
の廃墟があり、そこに駅があったことがわかります。
・【新富駅】の駅前通り。先には駅遺構はありませんでした。
・駅前に集荷所の廃墟がありました。
更に国道を進むと、左手から羽幌方面からの国道239号線がT字
交差してきて、その先ほどなくして【添牛内駅】の駅跡に到達
しました。いかにも駅前通りの趣の道があり、その先に駅舎が
残っていました。現在では民家の物置として使われているとの
情報がありますが、保存状態が悪く、あまり長くない印象を受け
ました。
・【添牛内駅】も良い駅前の雰囲気を出しています。
・添牛内駅舎入口
・駅裏手側は荒れていました。
この辺りは河川の流れ方向が複雑です。進路を東に変え、暫く
走った後に朱鞠内方面に左折して進路を北に変えます。その先で
カーブで進路が西になるわけですが、並走の深名線も大きく
曲がって【大曲(仮乗降場)】に至ります。この乗降場は大分昔の
1976年に廃止されています。国土地理院の古い航空写真と照らし
合わせて見ると、周囲の道路が当時と大分違っています。…が、
乗降場のあったであろう場所には容易に到達できます。JRバス
深名線の同名のバス停は、ちょっと離れた場所に設置されていま
すが、現在の集落の利便性に即した箇所に設置されているので
しょう。
・【大曲(仮乗降場)】があったであろう箇所(写真左手側)
・この正面あたりにあったはずです。
・大曲近くにあった跨線橋。深名線を斜めに跨ぐ感じです。
雨竜川を渡ると、その先に右手に折れるダート道がありました。
2,3百メートルほど進むと、深名線の路盤と交差する箇所があり
ました。その箇所のすぐ左手が【共栄駅】跡です。当時簡易な
ホームと待合室だったため、跡形も無く撤去されています。
共栄駅は、深名線の線路が良い感じのカーブを描いている途中に
ありました。写真映えが良かったようで、当時の鉄道雑誌等に
しばしば共栄駅に停車している深名線の列車の写真が掲載されて
いたことが思い出されます。
・【共栄駅】跡に至る一本道。
・この写真右手あたりに共栄駅がありました。
時刻は9:30。空が鉛色を呈しています。天気がもう少し持って
くれれば良いのですが。この先、少々登って朱鞠内トンネルで
反対側に抜けます。トンネルを出た直後にある雨竜川を渡る橋
から、すぐ横の深名線の橋台を見ることができました。
・朱鞠内トンネル
・深名線の石積みの見事な橋台が見えました。
更に北上すると、やがて民家が見えてきました。朱鞠内の街に
到着です。深名線現役当時の訪問時には、幌加内と並んで大きな
町の駅…という印象があったのですが、自転車で走るとあっと
いう間に市街地が終わる感じです。市街地の一番北に【朱鞠内駅】
跡はありました。ここでも駅の遺構は残されておらず、昨日の
幌加内同様、短い線路がモニュメント的に作られて設置されて
いるだけでした。バックに駅名標が立っていました。
・線路のモニュメントと、バックにバス待合所。
・これは…現役当時のものかしら?
次の駅までの駅間距離は僅かに1.9kmですが、そこにアプローチ
するために一つ峠を越えなければならないのですが、なかなか
キツいものがありました。坂の途中、朱鞠内駅構内を俯瞰で撮影
できる有名撮影ポイントを通りました。1995年当時、僕は一度
この道を徒歩で歩いています。当時の風景を思い出しつつ、
・線路跡は2車線の道路になっています。
・拙ブログに先日掲載した新聞切り抜き写真。同アングル。
道道から朱鞠内湖に向かって折れる道があるのですが、折れて
からすぐに深名線の踏切を渡っていたのですが、その箇所が
【湖畔】駅跡となります。当時、湖畔の駅前の空き地で深名線
の写真撮影をしていましたが、その時の記憶が懐かしく蘇り
ました。
・この荒地が【湖畔駅跡】です。何も残されていません。
・踏切を挟んで反対側。深名線の軌跡がわかります。
さて、この先のルートの話です。道内最大の人造湖「朱鞠内湖」
があり、現在僕達はその左下あたりの「湖畔駅」に居ます。
深名線は朱鞠内湖の西~北を経由するルートで右上あたりにある
次の駅「北母子里駅」に至ります。一方、メインの道路は朱鞠内
湖の南~東を経由するルートで、JRバス深名線もそちらを採用
しています。
深名線のルートに忠実に従うなれば、西~北ルートを採るべきです
が、ちょっと迷っています。…と言うのも、朱鞠内湖西側の道道
528号線(蕗の台朱鞠内停車場線)が現在通行止め扱いとなっている
ためです。先達の調査情報をWebで調べたところ、道道528号線は
完全なダート道で、2012年の土砂崩れの影響で不通となっており、
以降、復旧に着手されることなく現在に至る…とのことでした。
北側を走る道道688号線も、同じく数年前から土砂崩れで通行止め
でしたが、この9月に復旧して開通しています。…ですが、すぐに
先日10/22に冬季閉鎖扱いとなっています。
であれば南~東経由に決まり…なのですが、ここで更に迷う要素が
あります。深名線の湖畔駅~北母子里駅の間に、その昔に宇津内
(仮乗降場)、蕗ノ台駅(臨時駅)、白樺駅(臨時駅)の3駅があり、
このうち宇津内仮乗降場は所在不詳で踏査不可能ながら、蕗ノ台
駅と白樺駅は場所がわかっており、踏査可能な状況なのです。
・山の斜面に一段クッキリと見える深名線線路跡。
どうしようか考えつつ、朱鞠内湖の雨竜第一ダムの見事な堰堤を
右手に見ながら、道道528号線を少し北上してみます。しかし
ながら、実際に右手の山の斜面に深名線の線路の跡がはっきりと
見え、それが宇津内の奥地に吸い込まれている様を見てしまうと、
そのまま引き返すことができない心境になってしまいました。
K分君と話し合い、行けるところまで行き、駄目なら諦めて引き
返そう…ということで進むこととしました。
・この先の道路状況を記しておきます。
・朱鞠内ゲート
・ゲートを超えた直後から、道幅が狭くなります。
道道528号線の朱鞠内ゲートを越えると、途端に舗装道路が途切
れてダート道になりました。大きな水たまりにビビりつつ、前に
進みます。ほどなく宇津内湖の雨竜第二ダムの堰堤が見えてき
ました。雨竜第二ダムはそれほど大きくはありませんが、すぐ
前の橋から見上げると迫力があります。吐水しており、見事な
景観を見せていました。
・宇津内湖雨竜第二ダム。吐水を見ることができました。
時刻は10:40。予報より若干早く、雨が降ってきました。まあ、
この辺りはほとんど山の天候…と言って差し支えないような
場所ですからね。急いでレインウェアやザックカバーなどの
雨対策に衣替えし、サイクリング続行です。K分君との前回の
サイクリングで、只見線沿線で雨に降り込められ酷い目に遭い
ました。その時の経験から、2人とも今回の雨対策はバッチリ
です。装備さえちゃんとすれば、雨なんてさして気になりません
…ここがまともで安全な道路であれば。。。
・ダム横の道路を急登坂で上がっていきます。
・落石注意の標識も、何らかの理由で半分壊れていました。
ダム横からは簡易舗装道路になっており、幾分か自転車でも通行
しやすくなっています。…が、最近ほとんど通行が無いようで、
木の枝などが散らばっており、神経を使います。この道はアップ
ダウン、曲線がきついです。切り通しは最小限、トンネルは無し、
橋は最も短く架橋できる箇所で…。典型的な昔道と言えます。
地形図を眺めながら、このような地形に即した道を歩くのは嫌い
では無いのですが、今日ばかりは「こんな道路で大丈夫か?」…
と不安が募るばかりです。
・右手に宇津内湖が見え隠れしています。
・完全なダート道になります。
・こんな感じの倒木が至る所に存在していました。
暫く簡易舗装道路が続き、意外と行けるな…と思っていたら、
ほどなく完全なダート道に変化しました。通行難易度が一気に
跳ね上がります。伸びた雑草や倒木などが行く手を阻みます。
気合で進んでいると、やがて斜面の道が崩落している箇所が出現
しました。うわー、これはもう車やバイクで進むことができない
こと確定です。自転車を持って崩落個所の横を降り、横に巻き
ながら進んで進路の道に復帰します。
・この急カーブを曲がった先で…
・あっ! 道路が斜面崩落で崩されている!!
・自転車を担いで道を巻き、何とか進路復帰します。
この斜面崩落を突破できない自動車やバイクは脱落しますので、
ただでさえ少ない通行量が激減し、ここから先はもう一段レベル
が高い道となります。藪化した道、沢山の倒木あり、道が川の
ように水没してしまっている箇所あり…。あまりにもレベルが
高過ぎます。気が付くとサイクリングではなく「冒険」になって
いました。
・14トン制限の木橋。こ、こえー。。。
周囲には熊笹が多く茂っています。朱鞠内湖近辺には熊がよく
出没するとか…。雨が降っている時の熊の活動がどうであるか
分からないのですが、2人で自転車のベルを交互に盛大に鳴り
響かせて進みました。
右手には雨の中に煙る、幻想的な宇津内湖が見えています。
深名線はこの宇津内湖の対岸を南北に走っていました。宇津内
湖と朱鞠内湖の間の陸地の部分ですね。そこにはかつて
【宇津内(仮乗降場)】がありました。かなり古い駅で、昭和31
年頃には既に廃駅となったようです。あまりに古過ぎて、正確
な廃止時期はネット検索ごときでは情報が出てきませんでした。
・ウツナイ湖展望台…ほとんど湖が見えないんですけど。。。
・ゴツい峠越え。もはや自転車を漕げるレベルではありません。
宇津内駅は今となっては正確な位置が不明であることに加え、
そもそもその場所にアプローチする道が無いとのことで、踏査が
できません。代わりに翌日10/25に訪問した留萌本線北一已駅の
駅舎の写真でも掲載しておくこととします。北一已駅の駅舎は、
宇津内駅の駅舎を移築したもの…とのことです。現場の調査は
できませんが、別の場所で遺構を見ることができるとは、何とも
奇遇なものです。
・北一已駅舎。かつての宇津内駅駅舎が使われています。
(※翌日撮影)
さて、倒木、倒木、倒木…行く手は倒木だらけです。数年前に
倒れたであろう倒木、つい先日倒れたであろう切り口が真新しい
倒木、色々とありました。もう、この道路を復旧させよう…と
いう気は微塵も感じられません。このまま廃道にしてしまう
つもりなのでしょうか。ふと前方奥の方を見ると、巨大な鹿が
居てこちらを凝視していました。こ、こえー。鹿で良かった。
大自然過ぎます。
・致命的に道を塞いでいる倒木。ボスキャラ級の試練。
・BD-1を担いで倒木越え。もはや大冒険。。。
ヘアピンカーブで谷底に降りて谷川を渡る、地形図上最もヤバ
そうに見える箇所に差し掛かりました。2人とも祈るような
気持ちでその場所を見たのですが、無事に橋は架かっていま
した。いや、良かった。。。橋を渡り、地形の険しさも減って
ほっとしていたのも束の間、もう一息で蕗ノ台…というところ
で、2人はまさかの光景を目にしました。
・地図上、最もヤバそうに見えた橋は、問題なし。
何と道が目の前でスッパリ崩落しており、下を谷川が流れて
いるではありませんか。ここまで来て本気の通行止めとは!
ここで引き返すのは、あまりにもしょっぱ過ぎです。崩落の
下を見ると、川が土砂で埋まっている箇所があり、その土砂の
地下で川が流れているであろう地続き箇所が見えました。
対岸に渡るにはここを使うしかありません。2人で土砂崩れ
箇所の上下にスタンバイし、自転車を渡し合いしました。
・ああっ!!道路が目の前で寸断?!
・こんな感じで下を谷川が流れています。
BD-1のようなコンパクト自転車だからこその成せる技ですね。
一人では越えられる気が全くしません。上から自転車を降ろし、
谷を渡し、下から上に上げる…都合3回の手渡しリレーで、対岸
の道路に渡りました。。
・下まで降りて川を越えます。まずは荷物から。
・2人でBD-1受け渡しリレー。ラスボス級の難関ポイントです。
よし、難所は越えた! ほどなく蕗ノ台ゲートが見えてきました。
その先は車の轍もしっかりしており、もう安心です。この時の
安堵感と言ったら。。。
・蕗ノ台ゲート。この先は車の轍がしっかりしています。
…とまあ、道道528号線の現状はこんな感じでした。深名線ファン
ならずとも、この道路を通りたい方は各ジャンルいらっしゃる
かと思います。…ですが、全くオススメできません。主に下記の
理由です。
・あからさまな難所は3箇所。
林道ではなく登山道レベルを覚悟する必要があります。
- 斜面土砂崩れによる道路崩落。
- 切り通し部分を塞ぐ巨大な倒木。
- 川渡り部分の土砂崩れによる道路寸断。
土砂崩落の具合によっては川の渡渉が必要。
・ダートには雑草が茂っています。
冬季ギリギリの今回でもかなりの雑草が生えており、車輪を
取られそうになること多数でした。おそらく夏期の踏破には
相当の気合いが必要と思われます。
・熊が出そうです。
実際、朱鞠内湖近辺の山中での熊目撃情報はWebを検索する
だけでも多数出てきます。蕗ノ台駅跡に熊の足跡が多数あった
…というレポートも出回っています。熊鈴は必携でしょう。
熊鈴の効果については専門家でも意見が分かれますが。
道道528号線を直進すると、左折で道道688号線方面に向かう
分岐が見えました。分岐を直進すると、両側の藪が開け、
広々とした空き地が現れました。【蕗ノ台駅(臨時駅)】の駅跡
です。鉄道遺構は見当たらず、もちろん周囲にも人家等の建造物
はありません。道道688号線が開通する前は、蕗ノ台駅に到達する
にはこの道しか無かったわけですが、ここに駅と集落があった
なんて、にわかに信じられません。
・【蕗ノ台駅】跡。予想外にしっかりした土地がありました。
・母子里側から振り返って。左手が蕗ノ台駅跡方面です。
少し戻り、先ほどの分岐点を道道688号線方面に進みます。少々
すると、2車線の舗装道路が見えてきました。道道688号線です。
途端に自転車のタイヤがよく転がるようになりました。おおっ、
舗装道路の何と偉大なことか。振り返ると青看板が見え、
「←朱鞠内16km」と書いてありました。すぐに通行止めのゲート
があり、その先は道路が崩落しているんですけれどもね。
・道道528号線(ダート)が道道688号線(舗装)に接続する箇所。
・どこが分岐点?…と一瞬わからないレベルの格差があります。
・朱鞠内方面にも通行止めのマークが必要なのでは?!
道道688号線を進みます。いきなりこの道の最大の難所である
厳しい峠越えです。2人でひーひー言いながらペダルを踏みました。
峠を越えると爽快な下り…と言いたいところですが、雨が激しく
打ち付け、荒行修行のようです。
ほどなく、右折の方向にダート道が現れました。ダートを少々
進み、【白樺駅(臨時駅)】の跡に到着です。駅前広場的な空間の
周囲に、鉄パイプ組みの謎構造物が多数建っていました。これら
の用途はわかりませんが。もちろん深名線とは関係の無い、最近
建てられた構造物です。
・唐突に右折道が現れます。
・【白樺駅】前に通じるダート。駅前広場には謎の鉄構造物あり。
・この一段下がった場所が白樺駅のプラットホーム跡となります。
広場の少し先の一段低くなっている箇所が白樺駅のホームのあった
箇所のようです。雨が降っていて危険でしたので、下には降り
ませんでしたが。目を凝らすと鉄道信号設備だか何かの錆びた
金属製ボックスが見えました。
道道688号線に復帰し、黙々と東進します。相変わらず雨が降って
います。右手には朱鞠内湖が見え、幻想的な雰囲気を放って
います。時折、深名線の遺構と思われる堤や切り通しが見え
ました。本日の昼食の調達に失敗しておりますので、2人とも
空腹状態でペダルを漕ぎます。ほどなく、母子里ゲートが見えて
きました。冬季閉鎖のため閉じているわけですが、工事関係車両
と思われる何台かの車がゲート前で待っていました。時限的に
開く時間帯があるのでしょうか。
・母子里ゲートを越えました。下界に帰ってきた気分です。
・本日のゴールの地、名寄が射程距離に入ってきました。
更に進んで下っていくと、信号機や人家など、本日久しく見な
かった文明的なものを目撃しました。ほどなく【北母子里駅】跡
に到達です。携帯電話と思われる送信施設の後ろにプラット
ホームの遺構が残されていました。
・【北母子里駅】前。駅舎があったであろう正面には電波塔が。
・電波塔施設の裏側に、プラットホームが残されていました。
さて、本日もう一つの難所が目前です。名母トンネルでの峠越え
です。昼食代わりに昨日購入した深川名物のウロコダンゴを2人で
分けて食べ、少々休んでから峠越えに挑みます。峠までの道は、
ヘアピンカーブこそありませんが、ダラダラと上り坂が続きます。
既に先ほどの林道越えで足のバネを使い切っている2人にとって、
かなりキツいものがありました。
・深川名物ウロコダンゴ。腹に貯まるズッシリ感が助かります。
・名寄まであと18km…は、天塩弥生に寄り道しない場合ですな。
・ダラダラと長いだけの上り坂を延々と登ります。
死ぬ気で挑み、名母トンネル手前の峠に到達しました。やった、
遂に本日の最高標高点だ! ありがたいことにトンネルは全線
下り坂のようです。ちなみに、この名母トンネルの開通により、
冬場の道路交通の確保がなされたと見做され、深名線廃止の
引き金となったことは有名な話ですね。なお、肝心の深名線の
方ですが、ここより大分南の場所で、長大な「名雨トンネル」
にて峠越えをしています。
さあ、あとは転がり落ちるだけです。爽快に飛ばし、一気に
名寄方に抜け出ました。おおっ、何という見晴らしの良い景色!
自分達の足でこんなに標高を稼いでいたんだー、と感動する
一瞬でした。
・見えた!名母トンネル。
・山の上から見えるような下界の景色です。
・何と4kmも下り坂が続きます。爽快ー!
4kmの長大な坂を一気に下り切り、右折した後に本日最後となる
小さな峠を一つ越え、【手塩弥生駅】の駅跡に至りました。ここ
にはかつての駅の遺構は残っていません。代わりに駅舎風の新しい
建物が建てられていました。側線等があったであろう空間には、
電信柱が多数建てられていました。まるで当時の手塩弥生駅を
復元しているかのように見えるのですが、説明板等は無く、周囲
に地元の人も見当たりませんでしたので、真相は分かりません。
・弥生方に折れて、一つ峠を越えます。
・【手塩弥生駅】跡には、駅舎風の建物が建っていました。
さあ、いよいよあと少しです。彼方に名寄の街が見えてきました。
雨脚が弱くなってきて快適に走ることができますが、日没時刻に
差し掛かり薄暗くなってきています。15分ほど走り、【西名寄駅】
跡に到着です。駅のあった場所はライスターミナルなる巨大な倉庫
になっていましたが、その横の西名寄のプラットホームがあった
であろう箇所に駅名接近標識が建てられており、この場所が駅跡
であることが示されていました。
・【西名寄駅】に至る駅前道路
・西名寄の駅名接近標識が建てられていました。
最後の一区間、名寄に向かって東に進みます。深名線が天塩川を
渡る部分には鉄道遺構は残されていませんでした。再び雨脚が
強くなってきて、周囲も急激に暗くなってきました。市街地に
入り、宗谷本線から深名線が分岐する箇所を見届けたところで、
すっかり暗くなりました。ギリギリセーフでした。そのまま数百
メートル走り、遂に【名寄駅】に到着しました。17:00丁度。
深名線区間、踏破完了です! 何という充実感。。。
・天塩川を渡り、名寄方に入ります。
・深名線が宗谷本線に斜め合流する箇所です。
・着いた!名寄駅!!
・記念撮影!
さて、本日の宿泊地は美深なのですが、名寄駅発の列車を20分
ほど逃しております。もう一本後の列車までは2時間待ちです。
2人の疲労もピークに達しており、雨で冷え切ってお腹も空いて
いましたので、奮発してタクシーを飛ばしました。
宿泊地「びふか温泉」。温泉で冷えた体を温め、併設レストラン
で打ち上げをして、早々に就寝しました。
本日の走行距離は80km。
昨日今日での総走行距離は145kmでした。
こうして今回の深名線訪問は無事に幕を閉じました。今回、所在
不詳の宇津内仮乗降場を除き、駅・臨時駅・仮乗降場の全てを
踏査することができました。大変満足しております。1995年の
訪問時の振り返り体験以上の追体験ができたと考えております。
僕の中で深名線の過去へのこだわりのようなものが吹っ切れ
ました。
さて、今回のサイクリング。北海道の自然の中を走り、大変充実
したものとなりました。とは言え、深名線を深堀りし、それ以外
のものに目を向ける余裕と時間がほとんど無かったことも事実
です。次回、10年後か20年後かはわかりませんが、深名線を再訪
する機会があるかもしれません。その時には深名線の遺構は更に
自然への帰化が進んでいることでしょう。その時には過去を追う
ばかりの訪問では無く、その時の現状と自然を味わうような訪問に
したいと考えております。
計4回に渡る深名線廃線探訪シリーズの長文に、お付き合い
下さいまして、ありがとうございました。
(おわり)
良いブログ記事ですね。
深名線は地元民でも忘れてしまった遺構です。
手塩弥生駅跡地付近の建物は、昔の駅舎風のカフェでオープンしたばかりのようですよ。
by 西名寄駅民 (2015-12-06 19:34)
≫西名寄駅民さん
コメントありがとうございました。地元の方からコメントを頂戴
できるとは、大変嬉しいです。地元の方に読んでいただくには、
拙い記事で大変恐縮ですが。。。
天塩弥生駅跡にあった建物は、やはり深名線当時の駅舎を意識
しての建物だったのですね。謎が解けました。
情報ありがとうございました!
by highbusy (2015-12-10 00:53)
【道道528】で検索して辿り着きました。小学生だった1995年頃、父のトラックで朱鞠内〜蕗の台まで走った思い出があり、自分も!と、大人になってジムニーを買うも528は通行止…このブログ記事を見て、こりゃ無理だと諦めがつきました。笑
by 士別市民 (2018-05-13 11:08)
≫士別市民さん
返信が遅くなりました。
拙ブログ記事をご覧いただきまして、ありがとうございました。
道道528号線が未だ道路として生きていた頃に、ご訪問された
ことがあるとのことで、大変羨ましいです。
あの道を自動車が通行できたとは、当時を知らない私には
全く想像も付きませんが、手が入らないと道路も荒廃するもの
なのですね。私のサイクリング時から、更に1年半が経ちました。
メンテされているような話も聞いたことがありませんので、
今では更に厳しい道路状況になっているものと推察されます。
by highbusy (2018-06-04 22:28)
こんにちは初めまして。
僕も深名線廃止の年に乗りに行きました。写真みて懐かしく思います。そして廃線跡のレポートに時の流れを感じました。
汽車に乗って眺めた朱鞠内湖とその付近のうっそうとした森。そしてその森を抜けてみた幌加内のそば畑。深名線で特に印象に残っている風景です。
この記事でhighbusyさん達が冒険された場所を見て「こんなところを走っていたんだな」と感慨深く見ておりました。
いつか行きたいと思っていましたが、三重からはなかなか難しかったのでこの記事に出会えてよかったです。ありがとうございました!
by きもっしー (2019-05-23 17:24)
≫きもっしーさん
拙ブログをお読み下さいまして、ありがとうございました。
きもっしーさんも廃止の年に深名線に乗られたのですね。
とにかく朱鞠内湖付近は原生林感がリアルに漂い、列車に
乗っていても不安になっちゃうくらい凄い森でしたよね。
今もなお脳裏にその風景が思い出されます。
きもっしーさんは三重とのことですが、いつか深名線を
再訪できると良いですね。その時は是非、廃線跡がどんな
感じになっているか、教えて下さいね。
by highbusy (2019-06-08 16:33)