深名線ノスタルジー20年 (第三回:廃線探訪1日目) [サイクリング]
・深名線廃線探訪サイクリング軌跡
・1日目の軌跡
廃線探訪における準備段階で、一番重要なものは何だろう。。。
やはり、どこに線路が敷かれ、駅、トンネル、橋梁などの主要な
施設がどこにあったかを明らかにしておくこと…と考えます。
廃止されて暫く経った現在において、当時の施設がどこにあった
かを知らなければ、遺構の調査になりません。
短い準備期間で、出来る限りの資料を集めました。K分君が
図書館で古い5万分の一地形図の複写を得てきて下さいました。
深名線現役当時のものですので、線路の記載があります。この
情報を基に、現在の2万5千分の一地形図に線路の軌跡を転記し、
主要な遺構のポイントを記入しました。また、国土地理院のHP
で当時の航空写真を閲覧し、各駅が道路に対してどのような取り
付き方で存在したか…などを記入しつつ、同時に頭に入れる作業
を行いました。
他にも調べておきたい事項が沢山あったのですが、結局のところ
上記作業だけで手一杯になってしまい、気が付くと旅行当日を
迎えてしまいました。なかなかままなりませんね。
起床時刻4:50。前日の退勤時刻が遅く、旅行準備などに手間取っ
て1:00頃の就寝でしたため、ほぼ仮眠状態です。猛烈に眠いです
が、早朝よりテンションは高いです。本日、いよいよ念願の
深名線廃線跡を探訪するのですから。
糀谷発5:39の京急線内で同行のK分君と落ち合い、羽田空港へ。
K分君も前日遅かったようで、眠そうです。6:45の飛行機は
定刻通り飛び、8:25に旭川空港に到着しました。空港の外に
出た時の最初の印象は「寒い」…でした。東京と違って、
旭川はもう冬に差し掛かっています。
・朝早い便ですが、沢山の搭乗客が居ました。
・旭川空港前の気温は6.9℃。少々肌寒いです。
まずはタクシーに乗り、深名線の起点である深川まで行きま
した。今回は2人とも自転車は「BD-1」を使用します。いつもの
例であれば、鉄道絡みのサイクリングは「トレンクル」を使用
するわけですが、今回は持ち時間と走行距離の都合上、走れる
自転車を使用する必要があり、BD-1で行くことにしました。僕は
飛行機の機内預けでしたが、K分君はあらかじめクロネコヤマト
の深川営業所留めでBD-1を発送しています。タクシーでクロネコ
深川営業所まで行き、ここで自転車の受け取りをしました。
営業所の前を使わせてもらい、2人で自転車の組み立て・調整を
しました。K分君は比較的新しいBD-1、僕は10年以上前の旧型の
BD-1です。
・BD-1の組み立て・整備中。
・旧型/新型と並んだBD-1の車体。
10:15にサイクリングスタート。風がやや強いですが、空には雲が
ほとんど無く、よく晴れています。明日以降で天気が崩れる予報
が出ていますが、まずは本日晴れている幸運に感謝しつつ自転車
を走らせます。
まずは深名線の起点に向かいます。国道233号線を北上し、石狩川
を渡ってほどなく【深川駅】に到着しました。深川駅では昼食用
に駅弁「お楽しみ幕の内弁当」と深川名物の「ウロコダンゴ」を
購入しました。同国道の跨線橋で函館本線を越えて駅北側に渡り、
数百メートル東に進んだ先に、深名線分岐箇所が見えました。
北上開始です。
・【深川駅】前にて。
・奥に深名線分岐箇所が見えました。右手が函館本線です。
形の良い里山である丸山を左手に見つつ、道道875号線で北上し
ます。ほどなく右手前方に斜めに分岐する道が現れ、その道を
降りると【円山駅】跡に到着です。遺構はありませんが、土地の
雰囲気からここが駅前であったことが推察できます。
・【円山駅】跡。遺構無しでも、それっぽい雰囲気です。
道道に復帰し、更に北上します。秋の里風景と青い空のコント
ラストが素晴らしいです。…が、いきなり最初の峠越えです。
K分君も僕も最近は運動不足で、序盤にいきなり足が上がらなく
なってきています。僕の所持していた地形図が古く、新道が
トンネルで打ち抜かれていましたので、峠より大文低い位置で
越えることができ、正直助かりました。
・正に秋のサイクリング日和です。
気持ち良く下り、東西に延びる道道98号線とT時交差します。
ここから西に少し進むと、【上多度志駅】跡に到着です。駅遺構
はありませんでしたが、農業倉庫などがあり、駅前の雰囲気を
残しています。
・【上多度志駅】跡。奥が深川方面、手前が名寄方面。
更に道道を西に進みます。左手に深名線の路盤が並走する形で
見えています。ほどなく深名線はカーブで右折して行きます。
市街地に差し掛かり、僕達も交差点で右折し、少々進んだ先に
【多度志駅】跡がありました。ここにも遺構はありませんでした
が、駅構内の広々とした空間があり、駅前旅館等も建っており、
ある程度規模の大きい駅だったことが偲ばれます。
・【多度志駅】跡。駅前の広々とした空間がありました。
・多度志駅から深川方の線路跡を臨む。
この先も深名線は右折カーブを描き、遂には進路を東に採り
ます。僕達も並走する国道275号線で、深名線を追います。
左側に深名線の路盤とその奥に雨竜側を見ながら、国道275号
線を走ります。平坦な道を暫く走ると、右手に公民館のような
建物が見え、左手に民家が見える箇所に差し掛かりました。
【宇摩駅】跡となります。遺構は残されていませんでした。
・【宇摩駅】跡、深川方を臨む。
・宇摩駅跡で、振り返って名寄方を臨む。
この先、雨竜川に沿って進路が直角に北に変わります。雨竜川
の流れの方向の変化具合が忙しいです。川岸にちょっとした峠
があり、記念保護樹木と称して、イチイの木がありました。
…が、2人とも体力的に必死過ぎてあまりじっくり見ていられ
ません。
・国道左手にある、高橋峠イチイ(記念保護樹木)
峠を越え、爽快に下った先が【幌成駅】跡です。幌成駅自体の
遺構は皆無で、駅前通りだったであろう道路は、今では深名線を
突き抜けてその先の道路まで接続されてしまっています。当時、
待合室として緩急車が使用されていましたが、その緩急車は
至近にある建設会社の敷地内に移設されていました。かなりの
年季物となっています。
・【幌成駅】跡。駅前通りは駅向こうまで突き抜けていました。
・建設会社の敷地内に置かれた緩急車。
・怖いくらいの年季モノになっています。。。
更に北上し、すぐに【下幌成駅】跡に到達します。舗装道路を
横切る形でダート道があるだけで、そこに駅があった痕跡は
何もありません。
・【下幌成駅】跡。綺麗サッパリ何も無し。。。
・雨竜川が国道に接近する箇所。
雨竜川に沿って道道を北上します。やがて大きめの市街地に
差し掛かりました。駅前通りと思われる道を右手に折れると、
そこが【鷹泊駅】跡です。広々とした土地とともに、真正面に
駅舎が建っていました。廃駅情緒満点です。
・【鷹泊駅】駅舎。うわー、、、これは良いなぁ。。。
・駅舎正面入口。
・駅舎裏側。プラットホームの遺構が残されていました。
駅舎の裏側に回ると、プラットホームも残されていました。
現役時代の訪問当時の記憶が思い出され、懐かしさがこみ上げ
てきました。当時、既に駅舎は古かったわけですが、現在は
更に老朽化が進み、今にも崩壊しそうな箇所も見受けられま
した。この先、あまり長くない印象を受けました。
・1995年の現役当時の駅舎の写真
・現在の駅舎の写真。駅名標が無くなっていますね。
・何と、当時の駅名標が深名線資料館内に保存されていました!
近場にある「リフレッシュプラザ鷹泊」に立ち寄りました。地元
の人のためのコミュニティセンター的施設です。深名線資料館が
併設されており、当時の貴重な物品や資料が展示されていました。
ここで鷹泊駅の駅名標に出合えるとは、感激の至りでした。
・深名線に関連した、貴重な物品と資料の数々。
・閉校となった小学校正門柱が残されていました。
・校舎がそのまま使われているようでした。
リフレッシュプラザ鷹泊の庭で昼食。風がやや強く寒いですが、
のどかな風景を見ながら屋外で食べるお弁当は美味しかったです。
リフレッシュプラザ鷹泊は、廃校となった小学校を利用した施設
とのことです。その裏寂しい背景も手伝い、一層の旅情が感じ
られました。
・今朝深川駅で購入した「おたのしみ幕の内弁当」
・品数多く、堅実に美味しい幕の内でした。好感度大。
2人とも自転車の整備を少々行ってから出発。本日一番の難所、
幌加内峠に差し掛かるためです。この先はだらだらとした上り
勾配が続きます。2人ともペダルを踏む足が重く、なかなか速度
が上がりません。どんどん疲労が蓄積していきます。
・幌加内が射程距離に入ってきました。
・新しい幌加内トンネル。
僕の持ってきた地形図では、標高270m程度まで上がって峠を
越えることになっていましたが、何と新道ができており、標高
200m程度の場所でトンネルで抜けるようになっていました。
不幸中の幸い! 1.2kmの幌加内トンネルで向こう側に抜け、
あとは一気に下ります。幌加内ダムを左手に見ながら、爽快に
転がり下ります。
・トンネルを抜けると、そこは幌加内。極寒-41.2℃の表示が
・峠道を軽快に転がり落ちるK分君。
・国道左手に深名線の線路跡が並走していました。
国道から分岐する道を入り、少し逸れた場所に【沼牛駅】があり
ました。この駅には駅舎が残されていました。駅前から駅舎を
臨むと、いまにも列車が来そうな雰囲気が漂っています。
・【沼牛駅】。今でも現役かのように見えてしまいます。
・沼牛駅駅舎正面入口。
今年の7月18日、深名線廃止20年記念として「おかえり沼牛駅」
というイベントが開催されています。駅舎は清掃や補修により
状態が良くなっているようです。でも今は駅には僕達2人以外に
は誰も居らず、夕方の光線も手伝って物哀しい雰囲気に包まれて
います。
・プラットホームもよく維持されていました。
・沼牛駅でサイクリングの記念撮影。
少々走り、次の駅【新成生】駅跡に来ました。道路の交差点至近
に駅があったはずですが、当時の交差点と現在の交差点で道路の
取り付き角度が変わっており、駅の遺構は全く残っていません
でした。近くにJRバス深名線のバス停があり、同駅名の停留所名
でした。
・この草ボーボーの辺りにあったであろう【新成生】駅跡。
4kmほど走り、比較的大きな街に差し掛かりました。深名線の
沿線最大の市街、幌加内です。駅跡に行く前に、幌加内交流
プラザに立ち寄りました。ここには深名線資料展示室が併設され
ており、当時の物品や資料が展示されていました。幌加内駅の
当時の写真や駅スタンプの現物など、懐かしいものが沢山展示
されていました。
・幌加内交流プラザ。併設のお蕎麦屋さんは既に閉店とのこと。
・深名線資料展示室。貴重な資料や物品が多数ありました。
・幌加内~深川間で使用されていたタブレット閉塞装置
・これは、、、朱鞠内~名寄間の票券閉塞装置…ですね。
その後【幌加内駅】跡に到着しました。駅跡は見通しの良い広大
な土地になっており、線路と記念碑が置かれていました。ここに
幌加内駅があったことを示す証拠なのですが、新しく取って
作った記念物のようで、僕的にはちょっと興醒めなところがあり
ました。線路の施設方位も、当時の深名線と違った方向である点も
気になりました。
・【幌加内駅】跡に作られたモニュメント。
時刻は16:15。そろそろ薄暗くなってきました。本日の宿泊地は
政和温泉です。まだもう少し走らなければなりません。巻きを
入れて行かなければ! あ、足が痛い。。。
・国道沿線から見えた蕎麦調製工場。さすが幌加内!
国道を3kmほど走り、横道に逸れた場所に【上幌加内駅】跡が
ありました。道路で仕切られた三角形地帯の中に駅の遺構が
ありました。簡易のプラットホームの骨組み、そして何故か
上幌加内の停車場接近標識、そして当時のレールが遺されて
いました。当時のレールを今でも残す箇所は、深名線全線に
おいて、ここ上幌加内だけなんですって。これは貴重だぁ。
・小さな乗降所跡の【上幌加内駅】跡。
更に国道を北上します。暗さが増し、綺麗な月明かりが見えて
きました。何とか、本日もうひと駅だけ踏査したいところです。
地形が険しくなってきました。K分君も僕も、上り坂で足が
上がらなくなっていますが、体に鞭打ってペダルを踏みます。
国道を少し逸れ、【雨煙別駅(臨時駅)】跡に到達しました。
辛うじて未だ明るいうちに来ることができました。遺構は
何も残っていませんが、農業倉庫の存在により、そこが駅前で
あった雰囲気が残っていました。
・【雨煙別駅】へと続く駅前通り。駅前の雰囲気が残ります。
・雨煙別駅跡から深川方を臨む。
辺りがすっかり暗くなりました。本日の調査はここまでです。
僕達の進む国道は、ほとんど車が通りません。快適に走れる
一方で、何だか心細い怖さが感じられました。暗い中、5kmほど
進むと、本日の宿泊地「せいわ温泉ルオント」の明かりが見え
てきました。至近にある第3雨竜川橋梁の遺構や成和温泉駅
跡は、明日朝の踏査とします。無事にチェックイン。本日の
踏査スケジュールをほぼこなすことができ、良かったです。
・綺麗な月が空に浮かんでいます。明るさを増してきました。
・せいわ温泉ルオントの建物・北欧風デザイン。
せいわ温泉ルオントのログキャビンに宿泊します。山小屋風の
コテージのような設備です。本日の宿泊客は僕達だけのよう
でした。早速温泉に入りました。露天風呂には濃度の濃い源泉
がかけ流されており、本日の旅の疲れが癒されるようです。
風呂上りに、併設のレストランで本日の打ち上げと夕食。名物
の幌加内そばを食べることができました。美味しかったです。
K分君は正統派に盛り蕎麦を注文しましたが、僕は亜流にも
オリジナルメニューの「塩豚つけそば」を注文しました。
・まずはビールで乾杯しつつ、それに合いそうな肴を。
・幌加内名物の蕎麦。コシと香りがあって美味。
・夕食を食べながら、明日の深名線踏査の打ち合わせも。。。
明日の朝は早出です。レストランの店員に明日の朝食をどこで
調達したら良いか相談したところ、朱鞠内まで行ったとしても
朝から食べ物を調達できる場所は無い…との回答でした。
で、親切にもおにぎり弁当を作って持たせて下さいました。
人情が心に沁みます。
ログキャビンに戻って就寝…なのですが、まずは室内に侵入して
いるカメムシの捕獲から(爆)。周囲でカメムシが大量発生して
おり、それを詫びる貼り紙がルオントの入口に貼られていました。
店員に聞いたところ、最近は毎年収穫の終わったこの時期に大量
発生しているとのことです。うーむ自然が近いのですねぇ。
初日の走行距離は65kmでした。
(2日目につづく)
・1日目の軌跡
廃線探訪における準備段階で、一番重要なものは何だろう。。。
やはり、どこに線路が敷かれ、駅、トンネル、橋梁などの主要な
施設がどこにあったかを明らかにしておくこと…と考えます。
廃止されて暫く経った現在において、当時の施設がどこにあった
かを知らなければ、遺構の調査になりません。
短い準備期間で、出来る限りの資料を集めました。K分君が
図書館で古い5万分の一地形図の複写を得てきて下さいました。
深名線現役当時のものですので、線路の記載があります。この
情報を基に、現在の2万5千分の一地形図に線路の軌跡を転記し、
主要な遺構のポイントを記入しました。また、国土地理院のHP
で当時の航空写真を閲覧し、各駅が道路に対してどのような取り
付き方で存在したか…などを記入しつつ、同時に頭に入れる作業
を行いました。
他にも調べておきたい事項が沢山あったのですが、結局のところ
上記作業だけで手一杯になってしまい、気が付くと旅行当日を
迎えてしまいました。なかなかままなりませんね。
起床時刻4:50。前日の退勤時刻が遅く、旅行準備などに手間取っ
て1:00頃の就寝でしたため、ほぼ仮眠状態です。猛烈に眠いです
が、早朝よりテンションは高いです。本日、いよいよ念願の
深名線廃線跡を探訪するのですから。
糀谷発5:39の京急線内で同行のK分君と落ち合い、羽田空港へ。
K分君も前日遅かったようで、眠そうです。6:45の飛行機は
定刻通り飛び、8:25に旭川空港に到着しました。空港の外に
出た時の最初の印象は「寒い」…でした。東京と違って、
旭川はもう冬に差し掛かっています。
・朝早い便ですが、沢山の搭乗客が居ました。
・旭川空港前の気温は6.9℃。少々肌寒いです。
まずはタクシーに乗り、深名線の起点である深川まで行きま
した。今回は2人とも自転車は「BD-1」を使用します。いつもの
例であれば、鉄道絡みのサイクリングは「トレンクル」を使用
するわけですが、今回は持ち時間と走行距離の都合上、走れる
自転車を使用する必要があり、BD-1で行くことにしました。僕は
飛行機の機内預けでしたが、K分君はあらかじめクロネコヤマト
の深川営業所留めでBD-1を発送しています。タクシーでクロネコ
深川営業所まで行き、ここで自転車の受け取りをしました。
営業所の前を使わせてもらい、2人で自転車の組み立て・調整を
しました。K分君は比較的新しいBD-1、僕は10年以上前の旧型の
BD-1です。
・BD-1の組み立て・整備中。
・旧型/新型と並んだBD-1の車体。
10:15にサイクリングスタート。風がやや強いですが、空には雲が
ほとんど無く、よく晴れています。明日以降で天気が崩れる予報
が出ていますが、まずは本日晴れている幸運に感謝しつつ自転車
を走らせます。
まずは深名線の起点に向かいます。国道233号線を北上し、石狩川
を渡ってほどなく【深川駅】に到着しました。深川駅では昼食用
に駅弁「お楽しみ幕の内弁当」と深川名物の「ウロコダンゴ」を
購入しました。同国道の跨線橋で函館本線を越えて駅北側に渡り、
数百メートル東に進んだ先に、深名線分岐箇所が見えました。
北上開始です。
・【深川駅】前にて。
・奥に深名線分岐箇所が見えました。右手が函館本線です。
形の良い里山である丸山を左手に見つつ、道道875号線で北上し
ます。ほどなく右手前方に斜めに分岐する道が現れ、その道を
降りると【円山駅】跡に到着です。遺構はありませんが、土地の
雰囲気からここが駅前であったことが推察できます。
・【円山駅】跡。遺構無しでも、それっぽい雰囲気です。
道道に復帰し、更に北上します。秋の里風景と青い空のコント
ラストが素晴らしいです。…が、いきなり最初の峠越えです。
K分君も僕も最近は運動不足で、序盤にいきなり足が上がらなく
なってきています。僕の所持していた地形図が古く、新道が
トンネルで打ち抜かれていましたので、峠より大文低い位置で
越えることができ、正直助かりました。
・正に秋のサイクリング日和です。
気持ち良く下り、東西に延びる道道98号線とT時交差します。
ここから西に少し進むと、【上多度志駅】跡に到着です。駅遺構
はありませんでしたが、農業倉庫などがあり、駅前の雰囲気を
残しています。
・【上多度志駅】跡。奥が深川方面、手前が名寄方面。
更に道道を西に進みます。左手に深名線の路盤が並走する形で
見えています。ほどなく深名線はカーブで右折して行きます。
市街地に差し掛かり、僕達も交差点で右折し、少々進んだ先に
【多度志駅】跡がありました。ここにも遺構はありませんでした
が、駅構内の広々とした空間があり、駅前旅館等も建っており、
ある程度規模の大きい駅だったことが偲ばれます。
・【多度志駅】跡。駅前の広々とした空間がありました。
・多度志駅から深川方の線路跡を臨む。
この先も深名線は右折カーブを描き、遂には進路を東に採り
ます。僕達も並走する国道275号線で、深名線を追います。
左側に深名線の路盤とその奥に雨竜側を見ながら、国道275号
線を走ります。平坦な道を暫く走ると、右手に公民館のような
建物が見え、左手に民家が見える箇所に差し掛かりました。
【宇摩駅】跡となります。遺構は残されていませんでした。
・【宇摩駅】跡、深川方を臨む。
・宇摩駅跡で、振り返って名寄方を臨む。
この先、雨竜川に沿って進路が直角に北に変わります。雨竜川
の流れの方向の変化具合が忙しいです。川岸にちょっとした峠
があり、記念保護樹木と称して、イチイの木がありました。
…が、2人とも体力的に必死過ぎてあまりじっくり見ていられ
ません。
・国道左手にある、高橋峠イチイ(記念保護樹木)
峠を越え、爽快に下った先が【幌成駅】跡です。幌成駅自体の
遺構は皆無で、駅前通りだったであろう道路は、今では深名線を
突き抜けてその先の道路まで接続されてしまっています。当時、
待合室として緩急車が使用されていましたが、その緩急車は
至近にある建設会社の敷地内に移設されていました。かなりの
年季物となっています。
・【幌成駅】跡。駅前通りは駅向こうまで突き抜けていました。
・建設会社の敷地内に置かれた緩急車。
・怖いくらいの年季モノになっています。。。
更に北上し、すぐに【下幌成駅】跡に到達します。舗装道路を
横切る形でダート道があるだけで、そこに駅があった痕跡は
何もありません。
・【下幌成駅】跡。綺麗サッパリ何も無し。。。
・雨竜川が国道に接近する箇所。
雨竜川に沿って道道を北上します。やがて大きめの市街地に
差し掛かりました。駅前通りと思われる道を右手に折れると、
そこが【鷹泊駅】跡です。広々とした土地とともに、真正面に
駅舎が建っていました。廃駅情緒満点です。
・【鷹泊駅】駅舎。うわー、、、これは良いなぁ。。。
・駅舎正面入口。
・駅舎裏側。プラットホームの遺構が残されていました。
駅舎の裏側に回ると、プラットホームも残されていました。
現役時代の訪問当時の記憶が思い出され、懐かしさがこみ上げ
てきました。当時、既に駅舎は古かったわけですが、現在は
更に老朽化が進み、今にも崩壊しそうな箇所も見受けられま
した。この先、あまり長くない印象を受けました。
・1995年の現役当時の駅舎の写真
・現在の駅舎の写真。駅名標が無くなっていますね。
・何と、当時の駅名標が深名線資料館内に保存されていました!
近場にある「リフレッシュプラザ鷹泊」に立ち寄りました。地元
の人のためのコミュニティセンター的施設です。深名線資料館が
併設されており、当時の貴重な物品や資料が展示されていました。
ここで鷹泊駅の駅名標に出合えるとは、感激の至りでした。
・深名線に関連した、貴重な物品と資料の数々。
・閉校となった小学校正門柱が残されていました。
・校舎がそのまま使われているようでした。
リフレッシュプラザ鷹泊の庭で昼食。風がやや強く寒いですが、
のどかな風景を見ながら屋外で食べるお弁当は美味しかったです。
リフレッシュプラザ鷹泊は、廃校となった小学校を利用した施設
とのことです。その裏寂しい背景も手伝い、一層の旅情が感じ
られました。
・今朝深川駅で購入した「おたのしみ幕の内弁当」
・品数多く、堅実に美味しい幕の内でした。好感度大。
2人とも自転車の整備を少々行ってから出発。本日一番の難所、
幌加内峠に差し掛かるためです。この先はだらだらとした上り
勾配が続きます。2人ともペダルを踏む足が重く、なかなか速度
が上がりません。どんどん疲労が蓄積していきます。
・幌加内が射程距離に入ってきました。
・新しい幌加内トンネル。
僕の持ってきた地形図では、標高270m程度まで上がって峠を
越えることになっていましたが、何と新道ができており、標高
200m程度の場所でトンネルで抜けるようになっていました。
不幸中の幸い! 1.2kmの幌加内トンネルで向こう側に抜け、
あとは一気に下ります。幌加内ダムを左手に見ながら、爽快に
転がり下ります。
・トンネルを抜けると、そこは幌加内。極寒-41.2℃の表示が
・峠道を軽快に転がり落ちるK分君。
・国道左手に深名線の線路跡が並走していました。
国道から分岐する道を入り、少し逸れた場所に【沼牛駅】があり
ました。この駅には駅舎が残されていました。駅前から駅舎を
臨むと、いまにも列車が来そうな雰囲気が漂っています。
・【沼牛駅】。今でも現役かのように見えてしまいます。
・沼牛駅駅舎正面入口。
今年の7月18日、深名線廃止20年記念として「おかえり沼牛駅」
というイベントが開催されています。駅舎は清掃や補修により
状態が良くなっているようです。でも今は駅には僕達2人以外に
は誰も居らず、夕方の光線も手伝って物哀しい雰囲気に包まれて
います。
・プラットホームもよく維持されていました。
・沼牛駅でサイクリングの記念撮影。
少々走り、次の駅【新成生】駅跡に来ました。道路の交差点至近
に駅があったはずですが、当時の交差点と現在の交差点で道路の
取り付き角度が変わっており、駅の遺構は全く残っていません
でした。近くにJRバス深名線のバス停があり、同駅名の停留所名
でした。
・この草ボーボーの辺りにあったであろう【新成生】駅跡。
4kmほど走り、比較的大きな街に差し掛かりました。深名線の
沿線最大の市街、幌加内です。駅跡に行く前に、幌加内交流
プラザに立ち寄りました。ここには深名線資料展示室が併設され
ており、当時の物品や資料が展示されていました。幌加内駅の
当時の写真や駅スタンプの現物など、懐かしいものが沢山展示
されていました。
・幌加内交流プラザ。併設のお蕎麦屋さんは既に閉店とのこと。
・深名線資料展示室。貴重な資料や物品が多数ありました。
・幌加内~深川間で使用されていたタブレット閉塞装置
・これは、、、朱鞠内~名寄間の票券閉塞装置…ですね。
その後【幌加内駅】跡に到着しました。駅跡は見通しの良い広大
な土地になっており、線路と記念碑が置かれていました。ここに
幌加内駅があったことを示す証拠なのですが、新しく取って
作った記念物のようで、僕的にはちょっと興醒めなところがあり
ました。線路の施設方位も、当時の深名線と違った方向である点も
気になりました。
・【幌加内駅】跡に作られたモニュメント。
時刻は16:15。そろそろ薄暗くなってきました。本日の宿泊地は
政和温泉です。まだもう少し走らなければなりません。巻きを
入れて行かなければ! あ、足が痛い。。。
・国道沿線から見えた蕎麦調製工場。さすが幌加内!
国道を3kmほど走り、横道に逸れた場所に【上幌加内駅】跡が
ありました。道路で仕切られた三角形地帯の中に駅の遺構が
ありました。簡易のプラットホームの骨組み、そして何故か
上幌加内の停車場接近標識、そして当時のレールが遺されて
いました。当時のレールを今でも残す箇所は、深名線全線に
おいて、ここ上幌加内だけなんですって。これは貴重だぁ。
・小さな乗降所跡の【上幌加内駅】跡。
更に国道を北上します。暗さが増し、綺麗な月明かりが見えて
きました。何とか、本日もうひと駅だけ踏査したいところです。
地形が険しくなってきました。K分君も僕も、上り坂で足が
上がらなくなっていますが、体に鞭打ってペダルを踏みます。
国道を少し逸れ、【雨煙別駅(臨時駅)】跡に到達しました。
辛うじて未だ明るいうちに来ることができました。遺構は
何も残っていませんが、農業倉庫の存在により、そこが駅前で
あった雰囲気が残っていました。
・【雨煙別駅】へと続く駅前通り。駅前の雰囲気が残ります。
・雨煙別駅跡から深川方を臨む。
辺りがすっかり暗くなりました。本日の調査はここまでです。
僕達の進む国道は、ほとんど車が通りません。快適に走れる
一方で、何だか心細い怖さが感じられました。暗い中、5kmほど
進むと、本日の宿泊地「せいわ温泉ルオント」の明かりが見え
てきました。至近にある第3雨竜川橋梁の遺構や成和温泉駅
跡は、明日朝の踏査とします。無事にチェックイン。本日の
踏査スケジュールをほぼこなすことができ、良かったです。
・綺麗な月が空に浮かんでいます。明るさを増してきました。
・せいわ温泉ルオントの建物・北欧風デザイン。
せいわ温泉ルオントのログキャビンに宿泊します。山小屋風の
コテージのような設備です。本日の宿泊客は僕達だけのよう
でした。早速温泉に入りました。露天風呂には濃度の濃い源泉
がかけ流されており、本日の旅の疲れが癒されるようです。
風呂上りに、併設のレストランで本日の打ち上げと夕食。名物
の幌加内そばを食べることができました。美味しかったです。
K分君は正統派に盛り蕎麦を注文しましたが、僕は亜流にも
オリジナルメニューの「塩豚つけそば」を注文しました。
・まずはビールで乾杯しつつ、それに合いそうな肴を。
・幌加内名物の蕎麦。コシと香りがあって美味。
・夕食を食べながら、明日の深名線踏査の打ち合わせも。。。
明日の朝は早出です。レストランの店員に明日の朝食をどこで
調達したら良いか相談したところ、朱鞠内まで行ったとしても
朝から食べ物を調達できる場所は無い…との回答でした。
で、親切にもおにぎり弁当を作って持たせて下さいました。
人情が心に沁みます。
ログキャビンに戻って就寝…なのですが、まずは室内に侵入して
いるカメムシの捕獲から(爆)。周囲でカメムシが大量発生して
おり、それを詫びる貼り紙がルオントの入口に貼られていました。
店員に聞いたところ、最近は毎年収穫の終わったこの時期に大量
発生しているとのことです。うーむ自然が近いのですねぇ。
初日の走行距離は65kmでした。
(2日目につづく)
コメント 0